蛍火オタクの日記

舞台、若手俳優さんについて

私の永遠のアイドル。

 

今回は少し昔話をしようと思う。12歳でジャニーズを好きになり、12年経っても現役俳優ヲタな私は紛う方なしイケメン好きだ。大体顔で気になる人を選び、そのまま応援を始めるのが応援スタンス。

ただ、唯一顔以外の所から好きになったアイドルがいた。ラジオの文化放送レコメン!という番組ではHey!Say!7のコーナーがあって、今もなおJUMP担を続けている姉と毎日一緒に聞いていた。2009年春のある日の木曜放送はめっちゃめちゃに騒がしかった。どうやらアルバムリリース記念に関ジャニ∞が全員集合回だったようで。音楽番組で見ることはあったけどそこまでしっかりとした印象がなかったからついつい聞き入ってしまった。自由にワイワイ話してから収録曲が流された時、死ぬかと思った。ずば抜けた歌唱力、声質、真っ直ぐな歌声に鳥肌が立った。そこからエイトが出る音楽番組を全て見て、その声の持ち主が渋谷すばるという人間だと知る。正直今までかっこいいと思った亀梨くんや山田くんとは全く違うタイプの顔立ちだったけど、それでも歌ってる姿を見れば誰よりもかっこよくて、いつの間にか渋谷すばるのことが大好きになった。

 

私事になるが、私は高1の頃、人間関係の縺れからメンヘラのようなものになっている。人に会うことを考えると吐いてしまうから家から1歩も出れなかったし、カーテンもあけることが怖かった。食事も睡眠も常に誰かに見られている気がしてできない。真っ暗な部屋で爪を剥いだり自傷行為をしながら引きこもった。そんな時にすばるくんの歌に何回も救われた。彼は一度どん底まで落ちた人だ。明星の1万字インタビューで本人も語っていたけど、東の滝沢、西の渋谷というプレッシャーや色んな環境の変化に潰されそうになって、来た仕事も全て断わっていた。その代わりに村上くんや横山くんが頑張ってくれていたとか。一時は死亡説すら流れていた彼が作った「ONE」は正統派アイドルみたいにキラキラはしていなかったけど、確かに胸に響いて私が立ち直るきっかけになっている。

時々ジャニーズwebの更新が病んでいることもあったけれど、それでもすばるくんはあの小さいからだで沢山歌って、踊って、バラエティでは笑わせてくれるアイドルだった。∞祭のライブで一度だけ目が合ったのかなと思う時があった。びっくりして、固まっているとすばるくんもずっと固まってこちらを見ていて、腰が抜けてしゃがみ込んだらすばるくんは違う方向を向いちゃったけど。それでもただそれだけで泣いてしまうほどにすばるくんの事が大好きで仕方がなかった。「すばるくんを降りる時はジャニヲタを辞める時」と宣言していたが、その通り、私のジャニヲタ最後の担当は渋谷すばるだった。

 

降りて約5年、フライデーの記事を見た時に「ああ、やっぱりな」と思った。私が好きだったころ、雑誌で「ギターを持って旅をして、色んな国の子供達と歌ったりしたい」と今のままではできないような希望を言っていたし、そもそも2001年の段階ですばるくんはアメリカ留学の話が進んでいた。その話は結局同時多発テロでなくなってしまったけど。彼は猫みたいな人だ。気まぐれで人見知りで、ふらっとどこかに行ってしまいそうな儚くも強い美人。いつ来てもおかしくなかったタイムリミットが今回ついにきてしまった。

私たちはただのヲタクでしかない。推しや自担の将来に深く干渉することはまずできない。無力だ。だから裏切られたと思うことも、新しい道を応援することも、自由だと思う。

 

私はもうファンでもないから、軽いなんて思われるだろうけれど今回の決断があの7人の答えならそれでいいなと思った。ヤスくんがお風呂場でコケて会見に出れないのも含め確かに青春を捧げた私が愛した関ジャニ∞だなあ、なんて。

 

 

すばるくん、沢山悩んで苦しかったかもしれない時間も含めて「楽しいことしかなかった」と言えるくらい強くなったんだなあ。ヨコもヒナちゃんも背中を押せるならもう大丈夫なんだと思う。これからも何処かで歌っていてくれるのなら私はそれでいいです。

ただあなたを、渋谷すばるをこれからも生きてくれれば。

 

 

私の中で最強で最高で永遠に1番のアイドル、渋谷すばる

 「本当は恐くて誰よりも弱くて」と歌っていた彼がぶつかっていくその先で、綺麗な花が咲きますように。

 

 

21年間、お疲れ様。以上、私のジャニヲタとしての遺言書でした。